サロンと言えば、ワイン好きなら誰もが憧れるシャンパーニュに違いない。そのサロンと姉妹メゾンのドゥラモット、両方を取り仕切るのがディディエ・ドゥポン氏。今年2024年辰年は彼が還暦を迎えたおめでたい年だ。そこで、彼が大好きな日本でそのお祝い会を開こう! と、 30年来日本で輸入販売しているラック・コーポレーションが主催し、多くのワイン業界関係者でサロン&ドゥラモットを扱ってきた人々、ディディエ・ドゥポン氏と親交の深い方たちが招かれて盛大な誕生会が、アンダーズ東京にて開催された。
開会するとドゥポン氏は多くの来場者を前にして歓迎の言葉を伝えた。そして、こんな一言も。
「日本の風習にならった赤いチャンチャンコと帽子は身につけていませんけれど、今日はその代わりに赤いネクタイを選びました。それにほら、靴下もね。実はもうひとつ赤いものを履いているのだけれど、それは皆さんにはお見せできないから」。和やかな雰囲気でお祝い会が始まった。
<サロン無名時代?>
首都圏だけでなく遠方からわざわざこの日のために駆けつけた人もいた。サロン&ドゥラモット、そしてドゥポン氏の人気ぶりがわかる。しかし、かつてはシャンパーニュ・サロンにも日本で無名の時代があった。
その証人は、現在日本ソムリエ協会会長で世界最優秀ソムリエとして知られる田崎真也氏。超多忙な田崎氏だが、ドゥポン氏と対談をするために短時間スケジュールを調整し会場に立ち寄り、30年前のことを語ってくれた。
「フランスで一度だけ飲んだことがあり、一番扱いたいと思ったシャンパーニュがサロンでした」と、田崎氏。当時日本には輸入されておらず、日本でサロンを知る人は田崎氏の他にはいなかった。
銀座一丁目で1987年に開業したホテル西洋銀座(2013年閉業)のシェフ・ソムリエに就任が決まっていた田崎氏は、「西洋銀座のS、親会社のセゾンのS、そして自分の名前(真也)のSでもあるサロンを、開業に合わせて日本に輸入ができないかと考えていたという。もともとサロンは生産量が少なく生産するヴィンテージも極少ない。そのため、入手するのは至難の技だった。
「しかし、サロン側の親会社ローランペリエ・グループも徐々に日本市場を理解してくださり、ホテル西洋銀座のオープンに合わせて5ケースだけ分けてくれました。でも6本入りだから30本だけですけれどね」。
そして当時から世界最優秀ソムリエ挑戦を眼中に入れていた田崎氏は、ダイニングでのサーヴィスだけではなく、ワインに関わるすべての仕事をすると決めていたという。そこで、田崎氏の前職でもある和食店「吉左右(きっそう)」を当時経営し、ワインの輸入元でもあったラック・コーポレーションに、シャンパーニュ・サロンとその姉妹メゾンのドゥラモットを合わせて推薦し、実現。さらにそのプロモーションにも関わったのだ。
その後、田崎氏は「レストランS」を自身で開業することになる。
「私が2回目に来日した時、田崎さんのお店に行って驚きました。当時サロンはわずか30ヴィンテージしか生産していないのに、彼の店には20ヴィンテージも揃っていて、世界で唯一の存在でした」と、ドゥポン氏も振り返る。
「レストランSは、ソムリエ、場所としてのサロン、サーヴィスをイメージした命名でした。ですからやはりここでも『サロン』は必須なシャンパーニュだったのです。1932年から当時の最新ヴィンテージまで、たとえ一本でも良いからと手配してもらったのを覚えています」と田崎氏。
とはいえ、やはり生産量が少なく生産ヴィンテージも少ないサロンは、ワイン好きでも出会える機会も大変少ない希少品。そして今のようにシャンパーニュそのものが売れている時代でもなく、SNSがある時代でもなかった。そのため、一躍有名になるというよりはプロから愛好家に至るまで徐々に皆の心を掴んでいったと言えるのではないだろうか。それほど唯一無二の個性と存在感を有する一本なのだ。
<ディディエ・ドゥポン氏が愛する生ハム>
今回、会場でまず供されたシャンパーニュは「ドゥラモット ブリュットNV」、そして「ドゥラモット ブラン・ド・ブラン ミレジメ 2018」、「ドゥラモット ブリュット・ロゼNV」。これらに合わせてアンダーズ東京の質の高い料理の数々が並んでいたのだが、ドゥポン氏がどうしても参加者の皆さんとシェアしたいとこだわった生ハムがある。それが「ピエール・オテイザ」。わざわざこの生ハムを輸入している商社、鳥新のスタッフの方がブースに張り付いて生ハムをカットしてサーヴィスしたり解説したりしていた。
なぜピエール・オテイザなのか。実はここにも物語があった。
ピエール・オテイザ氏は、フランスのバスク地方で生ハムやサラミをつくる有名な職人だ。彼は、絶滅の危機に瀕していたバスク豚を復活させたことでも知られている。1921年には14万頭も存在したにも関わらず、1981年にはわずか20数頭にまで激減。しかしオテイザ氏はその純血種を守るために飼育を継続し、徐々に増やし、2009年には原産地呼称KINTOA(キントア)も取得したという。そして今では3,000頭を超えるにまで至っているそうだ。この豚はピレネーの山中を自由に走り回り、そこで育つ果実や木の実を食べて育つ。特に栗が大好物だとか。肉質が柔らかくて脂身が甘いのが特徴で、それをゆっくりと熟成させて出来上がった生ハムだ。
一切れいただいてみるとその味は、旨みがギュギュッと凝縮し、塩味も豊か。そのため、一口食べるとシャンパーニュが飲みたくなる。シャンパーニュを一口飲むと、また生ハムを食べたくなる。そんな、ちょっと危険な組み合わせでもありました。
<ディディエ・ドゥポン氏肝入りの赤ワイン>
このパーティーで、ドゥポン氏が個人的に関わっている赤ワインも披露された。それは、アルゼンチンのウルトラ・プレミアムワイン「ティアノ&ナレノ」。医師で免疫学の権威アリエル・サビナ氏の故郷である、メンドーサのルハン・デ・クージョから生まれる特別な赤ワインだ(詳細は別ページにて)。
<サロン&ドゥラモット>
当日提供されたシャンパーニュを紹介する。
「ドゥラモット ブリュット」
シャルドネ60%(クラマン、アヴィーズ、オジェ、ル・メニル・シュール・オジェ。いずれもコート・デ・ブランのグラン・クリュ)、ピノ・ノワール35%(モンターニュ・ド・ランスのグラン・クリュであるブージー、アンボネ、ヴァレ・ド・ラ・マルヌの東端でグラン・クリュのトゥール・シュール・マルヌ)、ムニエ5%(ヴァレ・ド・ラ・マルヌ)。ブドウの素性を見てわかるように、わずかなムニエを除きすべてグラン・クリュのブドウを使っている。有名メゾンのノン・ヴィンテージでこのような贅沢なシャンパーニュは稀ではないだろうか。また、現行品は2020年がベースとのこと。
「ドゥラモットの特徴のひとつが、力強い小さな泡」だとドゥポン氏。これは、ブドウの品質が高いこと、シャルドネの比率が多いことなどが理由であると思われる。
「ドゥラモット ブラン・ド・ブラン ミレジメ 2018」
ブラン・ド・ブランのミレジメは2008年ヴィンテージから、コート・デ・ブランのグラン・クリュである6つの村のシャルドネをすべて使うようになった。それまではル・メニル・シュール・オジェ、アヴィーズ、オジェ、クラマンの4つだったが、シュイィとオワリが加わった。グラン・クリュの栽培農家は長期契約を結んでいるため、10年越しの交渉で成立したそうだ。
「メニルはチョーキーなミネラリティ、オジェは温かみと甘み、アヴィーズは背骨や骨格、クラマンはそれぞれの村のシャルドネを繋ぎ合わせる役割、シュイィは青々しい要素、オワリは砂のようなミネラリティ」と、それぞれの村のシャルドネの個性をドゥポン氏は説明する。
「サロンはル・メニル・シュール・オジェそのものの表現であるのに対し、ドゥラモットはコート・デ・ブラン全体の表現。コート・デ・ブランの6つの村のシャルドネだけで造るブラン・ド・ブランはドゥラモットのこのミレジメだけ」。
また、「サロン」が生産されなかった年にはサロン用のシャルドネはこのミレジメに使われることでも知られている。ただし、2015年、2016年、2017年はドゥラモットのミレジメも造っていない。その理由は、「6つの村、すべてが素晴らしい出来でないとミレジメは生産しないから」だという。とても厳しい判断基準である。また、温暖化によってシャンパーニュ地方でのブドウの成熟が良くなってきていることにより、「サロン」や「ドゥラモット ブラン・ド・ブラン ミレジメ」の生産可能な年が増えているのかと思いきや、そうではないようだ。「異常気象がマイナス要素であること。酸度が低下していること」が理由で、とても慎重な決断をしていることがうかがえる。
「ドゥラモット ブリュット・ロゼ」
シャルドネ約88%(ル・メニル・シュール・オジェ、アヴィーズ、オジェ)、ピノ・ノワールの赤ワイン約12%(ブージー、アンボネ、トゥール・シュール・マルヌ)。「ブリュット」と同様、こちらもグラン・クリュのブドウのみが使用されている。シャルドネの溌剌とした個性にピノ・ノワールによる赤い果実の要素が加わり、とても心地良いバランス。
「自宅では、ブリーやシャウルスのような乳脂肪の多いチーズと共に、あるいはフレッシュな果実、イチゴのタルトやラズベリーのタルトと共に、2種類の楽しみ方をしている」と、ドゥポン氏。
「サロン 2013」
実は、最後に「サロン 2013」も少しだけサーヴィスされた。「まさかサロンは出てこないだろう」と思っていた参加者一同から大歓声! しかも、ヴィンテージは2013年。ドゥポン氏が「ため息の出るような美貌」と名付けたヴィンテージで、120年のサロンの歴史の中で44番目の作品だ。
「ギリシャ神話に登場する神々のように、長く華麗な筋肉を完璧に鍛え上げたシルエットを備え、我々の心と舌を魅了する」と説明されている。そして「リリースした当初から開いていた稀なヴィンテージ」だとドゥポン氏。2013年はシャンパーニュ地方では夏には熱波が来たが成長は遅く、10月に収穫が始まった近年では最後の年で(最近の収穫は8月末から9月初旬に開始される年が多い)、クラシックでタイトで硬いイメージの出来が多いと感じているが、サロンの場合にはその様相が異なる。おそらく、2013年のヴィンテージの個性と、ル・メニル・シュール・オジェというとてもチョーキーなミネラルを備える畑の個性との組み合わせの妙により、特別な表現力が生まれたのではないかと想像する。
<ラック・コーポレーションと30年>
ドゥポン氏は、今回で訪日75回目だという。それほど日本を気に入ってくれているのだ。30年来日本での販売を手掛けているラック・コーポレーションの社長、金内一裕氏曰く「彼は和食はもちろんのこと味噌汁がとても好きで、自宅にフランスの有名シェフを招いてミソ・パーティーを開催したとも聞いています」。今では日本の調味料を使うフランス人シェフが増えているが、それに貢献した人物であるかもしれない。
ドゥポン氏の初来日の時から付き合いがあるという、グラフィック・デザイナーでワイン・コレクターとしても知られている麹谷宏氏は、「ディディエを迎えるためにワイン茶会も開きました。私が手作りしたガラスのワインクーラーを水差しに使うなどして」と、思い出深そうに語っていた。
メインの壇上に設られたスクリーンには、ラック・コーポレーションとの30年間の軌跡である懐かしい写真が次々と映し出され、多くの参加者が楽しそうに見入っていた。盛大に行われたドゥポン氏の還暦お祝い会。一体何本のボトルが開いたのかわからないが、皆の笑顔が花咲いた。今の時代は還暦でもまだまだ若い。ドゥポン氏は訪日記録をさらに塗り替えて、サロン&ドゥラモットの魅力を伝え続けていくに違いない。
(photos by I. Yamamoto / text by Y. Nagoshi)
輸入元:ラック・コーポレーション