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如月サラの[葡萄酒奇譚] 第二夜 山の神への捧げ物~宮崎県諸塚村の森の古民家にて

文・写真/如月サラ

最寄りの空港から車でたっぷり2時間と少し。険しい山々の谷をひたすら走って行く。道は川を沿い、時折、橋を渡るたびに右を流れたり左を流れたりする。対向車はまったくおらず、深い緑色と光だけがゆっくりと近づいてきてはあっという間に行き過ぎる。

宮崎県高千穂町の山間部に源を発し、耳川に合流する柳原川

やがて川が広くなり、ほんの少し開けた場所が現れる。酒店、物産展、小さなスーパーといったほんの数軒の商店のある場所まで来たら、それが目印だ。山に向かってハンドルを切る。
くねくねとしたつづら折りの急な山道を何度も折れ曲がりながら登ると、その場所に到着する。

宮崎県諸塚村の施設である「森の古民家 やましぎの杜」。かつて人が住んでいたときの様子を残したまま、滞在しやすいよう改修されている

標高650メートル、大正時代に建てられた築140年の古民家は、
周囲数キロにわたり住む人も民家もない山の中腹にある。
九州・宮崎県の諸塚村にあるこの場所に、
定期的に長逗留している友人のところにお邪魔するかたちで、
年に1週間ほど滞在し始めて、数年経つ。到着はたいてい夕方になる。

山の斜面に突き出るテラスに出て、簡素な木のベンチに腰掛けると、向こう側の山が見える。山の端はオレンジから紫へとゆっくりと変化してゆき、次第に暗くなり、やがて辺りは完全な闇に包まれる。それまで聞こえていた鳥の声もぴたりと止まる。

「やましぎの杜」のテラスから眺める夕景

普段、5分ごとに聞こえる旅客機の轟音の中、窓から東京タワーや麻布台ヒルズのピカピカした光を眺めながら暮らしている私にとって、人の気配を全く感じない場所で、何の人口の物音も聞こえない暗い山の中は、完全に別世界だ。

古民家の入口に並べられたワインボトル

友人が五右衛門風呂を沸かしてくれていた。昔、子どもたちだけで祖母の家に泊まりに行った時、暗い五右衛門風呂に火傷をしないように入るのがちょっと怖かった。その時の記憶通りに、湯の表面に浮かべた底板をそっと踏みながら湯船に体を浸し、風呂釜の底や側面に体を触れないように気をつけながら温まった。

五右衛門風呂に入るのは緊張するねと話すと、このお風呂は薪で沸かすこともできるけれど、今日はボイラーで湧かしたお湯をためただけだった、と友人は笑う。だから火傷をするほど釜が熱くなることなんてないよと。そうか、あんなに緊張しながら入らなくてもよかったんだと私も笑った。

料理上手な友人が、村の人たちにもらった山菜や、時には猪や鹿を手に入れて夕食を作ってくれる。村の人たちも訪れて、一緒に夕食をする。諸塚村は原木しいたけの名産地でもある。出汁をきかせた料理に巧みに洋風の味付けを取り入れた新しい田舎料理に、少し癖のあるシャンパーニュがよく合う。

この日は宮崎県日向市から訪れた客人がBoizel Cuvée 630Aを持ってきてくれた

諸塚村は連なる山の斜面に88の小さな集落が点在する村だ。数軒の家しかない小さな集落も多く、行き来するには深い山の中を車で数十分走らなければならない。天孫降臨の神話で知られる高千穂町とも近く、平家の落ち武者が隠れ住んだという伝説もある。

山の暮らしは古来、厳しい自然との闘いだっただろう。ここに住み着いた人々は、土地を活かした産業を作り、生き抜いてきた。

標高約800mにある倉の平展望台から望む九州山地。中央の見えるのは耳川

村のあちこちにある神社では、春と秋に神事が行われている。

今回、とある神社の神事に私も参加させてもらうことになった。神様への供物には日本酒を持参するものだと思っていたが、友人はこの村の神事に参加する際、赤と白のワインを1本ずつ持っていくことにしていると話してくれた。諸塚村の人たちにはワインを飲む習慣がこれまでにあまりなく、喜ばれているようだという。私もそれに倣い、赤白のワインを用意し、熨斗をかけた。

立岩集落にある諸塚神社でおこなわれた神事

神事の後には直会(なおらい)が開催される。直会とは神事の後に開催される宴会のことで、神様に感謝の意を示すとともに、供物を皆で分かち合うことで、地域の住民同士が親交を深める機会として昔から大切にされてきた行事だ。

私も幼い頃、祖父母の家で直会に参加した記憶がある。その頃は女性たちが料理を作り、広間で飲み食いをする男性たちに給仕をしていた。そして女性たちは台所の脇の小部屋で、取り分けておいた料理をおしゃべりしながら和気あいあいと食べるのだ。私はこの小部屋で、大人に混じっておつまみを食べる秘密の時間が好きだった。

神事では神楽が奉納される

今は時代が変わり、この村でも女性が宴会の準備をし、男性だけが集うということはないのかもしれない。でも、もしかしたら女性たちが小部屋で、これまでに飲んだことのないフランスやスペインのワインをこっそり楽しんでくれていると良いな、と考え、その様子を想像した。

直会の後、つづら折りを登って古民家に帰ってくる途中、すごい速度で山の端から雲がかかったかと思うと、大粒の雨が降り出した。いきなりだった。雷がピカピカと光り、雷鳴が轟く。

古民家にはアルミサッシのような現代的な窓が付いているわけではない。障子戸と、ガラスの引き戸、そして戸袋から1枚ずつガラガラと引き出す木の雨戸だけで外と隔たれた私の部屋は、割れんばかりの雨音に一晩中包まれ、このまま私もどこかへさらわれてしまうのではないかと恐ろしさを感じるほどだった。

私が訪問するときに寝る畳の間

普段、暮らしている東京のマンションの上階では、雨が降っていることに気づかず、エントランスに降りてから傘を取りに部屋に戻ることもしばしばある。そんな生活を長いこと続けていると、屋根や木の葉や地面に激しく叩きつける雨の音を聞くと、自然とは本来であれば、身近であり畏怖すべき対象だったのだと改めて感じた。

いつの間にか眠っていたのだろう。明るくなってきた。そっとのぞいてみると、雨は小降りになり、やがて止んで朝の光が差し始めた。木の葉にびっしりとついた雨粒がキラキラと光りながら地面に落ちてくる。

テラス側から古民家を見る

雲海も見ることができる

山の神は雨を通じてなんらかのメッセージを伝えてくれる——そう聞いた。恐ろしいほどの土砂降りと、刺し貫かれるのではないかというほどの雷光と雷鳴という荒っぽい方法だったけれど、これは、ワインという珍しい捧げ物への、山の神からの祝福だったのだと思う。

障子戸を引き雨戸をガラガラと開け放し、部屋いっぱいに光を入れた。気の早い朝の鳥が、もう鳴き始めていた。

如月サラ(きさらぎさら)

作家。マガジンハウス勤務時代、
Hanako編集部で90年代からワイン特集に携わる。
仏シャンパーニュ騎士団シュヴァリエ叙任。
猫5匹と東京と熊本の二拠点生活中。
趣味は写真撮影。
著書に『父がひとりで死んでいた』(日経BP)

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