文・写真/如月サラ
100日間、完全な休みが取れるとしたら何をするだろうか。私は世界を一周する船に乗った。108日間かけて5大陸19か国、21都市に寄港する船は、旅客約1500人を乗せて、春先に横浜港大さん橋国際客船ターミナルを出航した。
船は飛行機で1時間かかるところを約24時間かけて航行する。航海中は、基本的にインターネットは使えない。Wi-Fiが通じないからだ。衛星通信を使うことはできるが、料金が高額になるため、ほとんどの人は寄港地に到着してからフリーWi-Fiを探すことにしているようだった。
地中海を航行する客船。前方にうっすらとジブラルタル海峡を望むタリファ岬が見えた
横浜から、最初の寄港地である香港まで5日間かかった。今の時代、こんなに世間の雑事から隔絶された、のんびり進む旅があるのかと思った。SNSも見ることができない。チャットやメールも届かない。今、どんなニュースがあるのかもわからない。寝ても覚めても、水平線で隔てられた青い海と空が見えるだけだ。
ゆえに、最大のお楽しみは各地への寄港ということになる。香港、シンガポール、ギリシャ・サントリーニ島、米ニューヨーク、イースター島、タヒチ。有名な都市や島への寄港は、初めてだろうが何度行ったことがあろうが、その地を踏むのが待ち遠しいものだった。 しかし、なかには、どんな場所なのかほとんどわからぬままの寄港地もある。スペインのモトリルがそうだった。
「血と金の旗」と言われるスペイン国旗
モトリルはスペイン南部のアンダルシア地方にある、人口約6万人の小さな都市だ。首都マドリードからは地図上で南に約400km離れており、地中海の南西端に位置する。この港町は、スペインの主要な観光地というわけでもなく、これといった見どころも特にないという話を聞いていた。
ためしにWi-Fiのつながる寄港地でモトリルを検索してみても、過去に客船で寄港した人々の短い体験ブログばかりで、あまり役に立ちそうな情報は得られなかった。
客船はほぼすべての寄港地に、朝早く到着し、夜に出発する。この日も朝7時、プエルト・デ・モトリルという小さな港に入港した。ちょうど夜と朝の間(あわい)の時間だった。西の空には星が残り、東の空は白んできている。遠くにまだ明かりのともる町が見える。
朝7時のプエルト・デ・モトリル
モトリルには見どころがないというので、船客の多くは、グラナダのアルハンブラ宮殿を見物に行くツアーを取っているようだった。私はグラナダ行きを選ばず、街で過ごすことにした。
港から街の中心地までを往復するシャトルバスに乗り、止まったところで降りる。教会と、その前の小さな広場でスパニッシュ・ギターをかき鳴らす人。しばらく歩いてみたけれど、乾燥した空気を通して太陽が容赦なく照りつけてくるだけだ。他に興味を引くものが見つからなかったので、スーパーマーケットで買い出しをして早々に船に帰った。
実は、モトリルがまったく気に入らなかった。ここはスペインのアンダルシア地方だ。多少なりとも街にそれらしい色気があってもよさそうなものだが、ほとんど感じられない。これなら他の客に混じってグラナダまで行くべきではなかったのかと、くよくよ考えた。
面倒だったけれど、夕方からもう一度、街まで夕食に出かけることにした。今夜の日没は21時過ぎなので、19時過ぎでもまだまだ街は明るい。出航は珍しく24時と遅いので、ゆっくり食事をする時間があるだろう。
モトリルの街の中心部
スパインといえばバル。さすがにこの小さな街にも何軒も連なっている。目についたバルをはしごしてみることにした。1軒目でカヴァを1杯とタパス2品。2軒目で、Tinto de Verano(ティント・デ・ベラーノ)というメニューを見つけた。何だろう。
ティント・デ・ベラーノは氷を入れて冷たくして飲む
聞いてみると、ティント・デ・ベラーノとは、スペイン語で「夏の赤ワイン」という意味。赤ワインのソーダ割りのことで、アンダルシア地方で生まれた飲み方なのだそうだ。知らなかった。歴史は諸説あるけれど、20世紀初頭にコルドバのバーテンダーが、暑い夏に赤ワインを飲みやすくするために水で割って提供したことが発祥とされる。
のちにソーダで割るようになり、地域や好みによって、炭酸水やレモンソーダ、スプライト、ジンジャーエールなどが使われている。安い赤ワインがこれに一番合うんだよ、と言われた。
バルで出てきたタパス
スペインのワインの飲み方のバリエーションとしてはサングリアがよく知られているが、ティント・デ・ベラーノのほうが簡単に作れるため、より日常的な飲み物として親しまれているらしい。
ワイングラスになみなみと注がれた炭酸のはじけるティント・デ・ベラーノは、夏を迎えた暑いアンダルシアの街にいる退屈した私の喉を、くすぐりながら潤してくれた。なんとも美味で、心地良い。つまらない街だな、と思っていた気分が軽くなってくる。顔を上げてみると、そこかしこで地元の住民たちが夜の時間を楽しんでいる。
なんだ、この街、悪くないじゃないか。現金にもそう思う。
バルで思い思いに過ごす人々
周りを観察しながらタパスとティント・デ・ベラーノを堪能しているうちに、日没の遅いモトリルにもだんだん夕暮れの気配が漂ってきた。気分がよくなった私は、勘定を終えてシャトルバスを待つ間、バルの近くのPueblos de América Parkという公園に立ち寄ってみることにした。
足を踏み入れた瞬間、不思議な感覚に包まれた。フクロウが控えめに鳴いている。カエルが一斉に鳴き声を立てる。人々が犬を散歩させている。ゆっくりと夜が忍び込んでくる。なぜだかとても懐かしいような気がする。
ジャカランダは1〜2か月咲き続け、徐々に散る
この公園には、アメリカ大陸のさまざまな地域から持ち込まれた亜熱帯の木が数十種も植えられているという。ふと目に映った鮮やかな紫色の花を咲かせた木は、ジャカランダだった。ふわりと甘い香りが漂ってくる。こぼれた花が地面に散り敷いている。
そういえば、モトリルの街を移動する間じゅう、ジャカランダの花があちこちで咲いていた。南米原産の木がモトリルの町のあちこちで花を咲かせているのは、スペインと南米の間に深く濃厚な歴史が横たわっているからなのだろう。その積み重ねにしばらく思いをめぐらせた。
ヨーロッパとアメリカの出会いを象徴する彫刻
バス停にシャトルバスがやってくるのが見えた。ほんの短い間、どこかの世界に入り込んでしまったかのようだった。昼と夜との間(あわい)に、ティント・デ・ベラーノが見せてくれた夢だった。どんな街にも、住む人がいて文化があり歴史がある。いつか誰かが懐かしく思う夕暮れがある。
今後、モトリルという街に行くことは二度とないかもしれない。けれど、世界のどこかにジャカランダの花の咲く頃には、ティント・デ・ベラーノを飲みながら、この街と美しい夕暮れを思い出すことがある気がした。
24時過ぎ、船は汽笛を三度鳴らして、モロッコのタンジェに向けて出港した。
如月サラ(きさらぎさら)
作家。マガジンハウス勤務時代、
Hanako編集部で90年代からワイン特集に携わる。
仏シャンパーニュ騎士団シュヴァリエ叙任。
猫5匹と東京と熊本の二拠点生活中。
趣味は写真撮影。
著書に『父がひとりで死んでいた』(日経BP)