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如月サラの[葡萄酒奇譚] 第五夜 あの日の海のような〜沖縄・やんばるのヨガ合宿

文・写真/如月サラ

「やんばる」という地域に来たのは生まれて初めてだと思う。沖縄の話だ。九州生まれ育ちの私は、旅行や出張などでこれまでに何度も沖縄を訪れていた。しかし、沖縄本島の名護より北の、やんばる地域まで足をのばしたことはなかった。

中年も半ばを過ぎれば、自分自身のことのみならず、仕事の変化や家族の出来事などさまざまな憂いをつねに抱えることになる。私は自分の心身を整えるために、その頃しばらくマインドフルネスや瞑想などをためしていた。

なかでも瞑想は私の肌に合い、目を閉じて、自分の頭や心の中で水面の波紋が収まるように静かになっていくのを感じるのは気持ちがよかった。そのうち、こういった瞑想はヨガに源があることを知った。

マインドフルネス瞑想では無になることを目指すのではなく、自分の「今、あるがまま」を観察する

またヨガの練習をやってみようかなと考えたのだけれど、世の中ではエクササイズを目的にしたヨガが流行しており、心を静かに保ちたい私に合う教室がなかなか見つからなかった。それならば、どこかに通うのではなく、自分自身で基礎を身につけてヨガができるようになればいいのではないか。そうひらめいた。

まず目指すべきスタンダードである、全米ヨガアライアンスのRYT 200というインストラクター資格を取ることにした。これは文字通り200時間のトレーニングを必要とする。東京で週末にスタジオに通い、半年や1年かけて取得する方法もあったけれど、それでは途中で挫折してしまいそうな気がした。

そこで、一気に10日間の合宿形式で取ることにした。その教室として選んだのが、沖縄のやんばる地区にあったというわけだ。

名護を過ぎると緑はいよいよ濃く、海と空はますます透明になってゆく

あるよく晴れた9月の朝、那覇バスターミナルから名護まで高速バスで1時間半かけて移動した。名護の小さなバスターミナルで、さらにローカルの路線バスに乗り換えて1時間。窓の外の海と空が、青からだんだん透明に近づいてゆく。数人しか乗っていないバスにヨガマットを抱えて、のんびりゆらゆらと揺られながら、沖縄本島ってこんなに大きかったんだと感じていた。
海沿いの小さなバス停で降りたのは、2人だけだった。もうひとりもヨガマットを持っていた。食堂が併設された合宿所はいかにも寮というたたずまいで、玄関にはシーサーが置かれていた。金属を鳴らしたような蝉の声が絶えず聞こえてくる。ああ、やんばるに来たんだ。遠いところまで来たんだ。私はこれから始まる10日間に身震いした。

合宿所。1階は食堂。道路を挟んで目の前は海だった

合宿所の入口に鎮座していた小さなシーサー

12人の参加者は、全国から集まっていた。年齢は20代から30代がほとんどだ。40代もいたけれど、私だけが突出していた。沖縄生まれ育ちのインストラクターは、ある時ヨガに出会ってから、その哲学も含めて感銘を受け、たびたびインドにも修行に行っているという元気な肉体派で、それでいて神秘的な女性だった。

朝5時、まだ真っ暗な中でレッスンが始まる。すべてが終わるのは23時。シャワーを浴びて眠ると、翌朝5時のレッスンの開始のためには4時に起きなければならない。毎日の睡眠時間は4時間だ。
レッスン中の10日間は、当然のことながらアルコール摂取が禁止されていた。毎日おこなうブートキャンプのような体力トレーニングとヨガの基礎。そして解剖学とヨガ哲学という座学。体力と頭脳を両方、極限まで追い込む練習に、日に日にみんなに疲れが溜まってくる。最年長である私は、なんとか体力を振り絞って着いていくのが精いっぱいだった。

9月といえどまだまだ夏の盛りのようだった

抜け出して息抜きをしようにも、合宿所の目の前は大きく広がる海で、背後はやんばるの深い森。周囲には一切の店がなく、夜には真の闇が訪れる。聞こえるのは日中の蝉の鳴き声と夜の波の音だけ。逃げ出す場所も、時間もなく、みんな惜しむようにして4時間の睡眠をむさぼり、日中はひたすらトレーニングに励んだ。

10日間の苦楽を共にした若き仲間たち

そんな日々の中にも、楽しい瞬間がある。ある日は、目の前の海を赤く染めて沈む夕陽にみんなで歓声を上げて見とれた。大きな虹が出た日もあった。ちょうど満月の日には、スタジオのテラスに出て輪になり、月の光を浴びながら過ごした。

虹が出たのはこの時一度だけだった

毎日、海の向こうに夕日が沈んでいった

なかでも忘れられないのがビーチヨガだ。合宿所から歩くこと約1時間。もう何日も寝食を共にした仲間たちは、合宿所から出ることがうれしくて、小躍りしながら海沿いを歩き、誰ひとりいない静かな地元のビーチに到着した。

夕暮れ、ビーチにヨガマットを敷き、トレーニングではなく楽しむためだけにヨガをおこなった。その後は星の下でマットに寝転び、身の上話や夢の話をした。本当に気持ちの良い時間だった。

他に誰もいないビーチでのヨガは最高に気持ちよかった

最終日にはひとりずつ模擬レッスンをおこなった。過酷なまでに追い込まれた10日間の最終日。疲れているはずなのに、晴れ晴れとした顔をしている。ようやく過酷な日々から解放されるのだ。夜は、思い出をいつまでも語り合った。明日にはそれぞれの場所に帰ってゆく。「またみんなで会おう」という約束がおそらく二度と実現しないことを、もう十分な大人になった私たちは知っていた。

近所に住むおばあが差し入れを持ってきてくれた

翌日、再婚して沖縄に移住した大学時代の友人が名護まで迎えに来てくれるという。彼女はもう沖縄で数年を過ごし、すっかりウチナーンチュの顔になっていた。東京へ戻る飛行機までには時間がある。沖縄料理がたっぷり楽しめるブランチができるレストランに連れていってくれた。

「合宿中、部屋の窓に、ずっと白いヤモリが張り付いててさ。やっぱり沖縄だなぁと思ったよ」という私。友人は、それはよくあることではないと言った。白いヤモリには、幸運や新たな旅立ちを祝福する意味があるという。

そうか、そうだったのか。私は半年前に父親を亡くしたばかりだった。一人暮らしの家でひっそりと寿命を迎え、1週間経ってから見つかった父親を、なぜ私はそうなる前に気づくことができなかったのだろうと、ずっと自分を責めていた。

帰る日は台風が近づき、どんどん風が強くなっていった

この沖縄のヨガ合宿への参加は、後悔するばかりの日々を送っていた私が思い切って自分に許した休暇でもあったのだ。両親と私は一緒に旅行をしたことがほとんどなかったけれど、一度だけ沖縄に来たことがあった。名護のパイナップル園でサングラスをかけて得意げにポーズを取る若い父と高校生の私のプリント写真が、今でも実家のどこかに残っているだろう。

「きっとお父さんが、後悔なんてしなくていいよ、あなたはあなたで自由に生きなさいと見守っていてくれたんじゃないかな」と彼女は言った。

10日ぶりに飲んだスパークリングワインは、とてもほろ苦い、あの日の海のような、そして涙のような極上の味がした。

如月サラ(きさらぎさら)

作家。マガジンハウス勤務時代、
Hanako編集部で90年代からワイン特集に携わる。
仏シャンパーニュ騎士団シュヴァリエ叙任。
猫5匹と東京と熊本の二拠点生活中。
趣味は写真撮影。
著書に『父がひとりで死んでいた』(日経BP)

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